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鶴屋南北は本作を書くにあたり、お岩稲荷の由来を記した小説「四谷雑談集」を参考にしたと言われています。この小説は享保12年(1727)の成立ですから、お岩の怪談はかなり以前から江戸の街に流布していたことが分かります。 四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きた事件を元に創作された日本の怪談。四谷が舞台となっているために、この名がある。
鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名だが、「貞女岩が夫伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす。」というのが基本的なストーリーとなっている。

「四谷雑談集」によれば、寛永の頃までは江戸の街は空き地だらけで、特に江戸城西の麹町あたりは草むらばかりでありました。そのなかに四つほど民家があってその所を「四つ屋」と称しましたが、やがて家が立ち並び「四つ谷」とも言うようになったのだそうです。また、この地には御先手組諏訪左門組が拝領して住んでいました。左門がここを拓いたというので「四谷左門町」と呼んだそうです。(注:「東海道四谷怪談」では実在の田宮家の抗議をはばかり雑司ヶ谷四谷町に変えられています。)

お岩は御先手組同心田宮又左衛門の娘で疱瘡を患って面相が醜かったのですが、摂州浪人伊右衛門という夫がおりました。この伊右衛門に、与力伊東喜兵衛が自分の妾お花を押し付けようとします。伊右衛門は喜兵衛らと策謀してお岩をさんざんにいじめ、離縁し、家から追い出します。その後の気が狂ったお岩の行方は知れませんが、やがて伊右衛門の周囲に次々と不思議な事が起こり、関係者はすべて死んでしまったと言います。ここではお岩は幽霊としてその姿を現してはきません。しかしその事件がお岩の怨念のせいだということは誰の目にも明らかなのでした。これが「四谷雑談集」の伝える話です。

ここで大事なことは、「お岩」とは先祖の拓いた土地を守っている一種の在地霊と見ることができるということです。お岩の怪談は同心の娘が与力の謀略で土地を奪われてその怨みで祟るという物語です。江戸中期からの急速な土地開発・それにともなう先住者と新参者の軋轢のなかでお岩の霊は江戸という土地と結びついて江戸の民衆に畏れられたということだろうと想像します。

「お岩は江戸の土着のイメージと結びついている」ということがまずキーポイントです。

江戸が「東海道」の東の端なら、西の端は上方(京大坂)です。鶴屋南北はもちろん江戸に生まれ・江戸歌舞伎のなかで生きてきた人間です。江戸の民衆から見た「上方」とはどんなイメージであったのでしょうか。

江戸には徳川幕府がありましたから政治的には上方より優位に立っていたと言えましょうが、経済的には江戸は常に上方に対し従属的位置にありました。近江屋とか伊勢屋とかいう屋号で分かりますが、江戸の商店というのは大部分が上方資本で、その背後には両替という上方の大資本家がいて、江戸の資金を植民地的に食い荒らしていたのです。当時の江戸の大店の番頭というのは大抵は上方出身者でした。例えば「お染の七役」に見られるように、南北作品になかにあるお店者(たなもの)への揶揄・嘲笑というのは、こうした上方の経済的搾取に対する江戸町人の怨みからくるものなのです。

こうした上方に対する江戸の位置が経済的にも文化的にも逆転し始めるのは寛政期ごろからのことです。それまでの江戸歌舞伎は初代菊五郎・初代富十郎らの上方役者を呼び寄せることでその技術水準を保っていたわけで、上方歌舞伎の方がつねに優位であったと言えましょう。それがはっきりと江戸の歌舞伎が優位に立つようになったことを示した事件は、寛政6年(1794)に当時最高の劇作家であった並木五瓶が上方から江戸に移籍したことでした。この時に南北は40歳。「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」(寛政7年・都座)は江戸に移籍した五瓶の傑作ですが、この初演には南北もスタッフとして参加しています。鶴屋南北は、この並木五瓶が江戸歌舞伎に伝授した作劇術の影響下に生まれた劇作家なのです。(南北が立作者となるのは通例よりかなり遅く、享和3年(1803)、南北49歳のことでした。)

このような東(江戸)と西(上方)の関係によって「忠臣蔵」を同時代化の発想で読み直したのが、「東海道四谷怪談」だと言えます。ここでは江戸は裏狂言の「四谷怪談」での在地霊としてのお岩に象徴されます。一方の上方は表狂言である「忠臣蔵」の世界です。これは塩谷(=赤穂)浪士によって代表されています。注意いただきたいのは、東と西・あるいは裏と表は「対立関係」であるという風に単純に読まないということです。東と西の関係は複雑によじれながら絡み合っていると読んでいただきたいと思います。

この芝居に登場する人物は、お岩・お袖以外はすべて「忠臣蔵」の世界から来ています。つまり、すべて上方から流れてきた人々であったということです。判官の刃傷により塩谷家は断絶し、家来たちは散りじりになって・ある者は商人に身をやつし・ある者は物乞い・夜鷹になって江戸で生活しています。ある者は密かに敵討ちの意志を持ちながら・またある者は生きるために志に背を向けて江戸の街に生きています。高師直討ち取りをめぐる男たちの思惑と欲望のなかで翻弄されつづけるのがお岩・お袖の姉妹なのです。

江戸の在地霊お岩の怨念は、勝手放題に経済的搾取をしてきた上方に対する怨念であったと見ることもできましょう。しかし一方で、まだまだ上方なしで江戸が成り立っていけないことも事実であったのです。そのことが伊右衛門・あるいは直助に頼らざるをえない姉妹の境遇に象徴されています。

さらに見ていけば「四谷怪談」に見られる風俗は南北の生活する文政期の江戸そのままです。当時の江戸には禄を失って路頭に迷う浪人がごろごろしていました。彼らのすべてが武士としてのプライドを捨てた人たちであったでしょうか。うらぶれた生活のなかでも志をもって清く生きた浪人たちもいたことでありましょう。南北はそうしたうらぶれた武士の姿に「忠臣蔵」のなかで江戸の街に身を潜めた義士・あるいは不義士たちのことを想ったに違いありません。伊右衛門の姿はそのまま仲蔵の演じた「忠臣蔵」の定九郎の姿なのではありませんか。南北のなかでは、善と悪、義と不義の明確な区分はなく、混沌のままにまかされているのです。 


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